私は、鹿児島市皆与志町“川路大警視”の子どもです (*^_^*)

今日は、“ 川路大警視 ” をご紹介いたします。

大河ドラマ “ 西郷どん ” も佳境に入り、正直、「これからはあまり観たくない。できれば史実を捻じ曲げて、西郷どんと大久保どんが仲良く日本国を立て直したというストーリーにしてしまいたい」と思っていますが…。

ドラマの第44話で、慕っている西郷が鹿児島に戻ったあと、大久保の指示を仰ぐことになる “ 川路 ” は、“ 初代大警視(現 警視総監)川路利良 ” のことで、私と同じ “ 鹿児島市皆与志町比志島 ” 出身の大先輩です。

“ 川路大警視誕生の地 ”は、皆与志小学校から500メートルほど北にあり、今でも大きな石碑が残っております。

私が就学する50数年前は、板張りの剣道場もあり、“ 川路大警視 ”の大きな遺影が壁に掲げてありました。その道場は、田植えと稲刈りの農繁期の年2回、季節託児所として使われておりました。

託児所の先生(近所の日曜学校の先生)から、毎日のように「もし街に出て迷子になったら、すぐに交番を探し、『私は、鹿児島市皆与志町川路大警視の子どもです』と言えば、お巡りさんがここまで連れてきてくれる」と教えられたものです。

その頃は、何のことかはわからずに復唱しておりましたが、今になって改めて “ 同郷の偉人 ” を誇らしく思います。

この誕生地跡はシラスの山を背負っているので、50年くらい前、剣道場は梅雨の大雨が原因で倒壊してしまいました。それでも、年1回、数十人の警察官が誕生地跡を清掃しておられるので、きれいに保たれています。

詳しい歴史については、ネット等で検索してください。

地域彩生コーディネーターの櫨山でした。(^_^)v
次回をお楽しみに♪

See you.