「富山の薬売り」に学ぶ顧客管理の手法と「温故知新」のビジネスモデル!


妻が昨年、誕生日のプレゼントに知人からいただいた胡蝶蘭が、今年も花を咲かせてくれました。

液肥を刺したままで手入れもしてやらず、3月にはツボミさえもなかったので諦めていたのですが、色鮮やかな花をたくさん見ることができて、元気をもらいました。ヽ(^o^)丿

先日、新聞のテレビ番組欄(ランつながり…)を見ていて、「富山の薬売りが薩摩を支えた!?」という見出しに惹かれ、NHKの「歴史秘話ヒストリア」(※1)という番組を観ました。



私が幼少のころ、実家に「越中富山」と大きく書かれた「置き薬用の赤い木箱」があり、確か、金属の取っ手が付いていたことを覚えています。箱の中には、軟膏、湿布薬、ケロリン、正露丸、頓服(と呼んでいた)、それに母がよく服用していた「血の薬(?)」などが入っていたように思います。

祖母や両親が「えっちゅどん(越中殿)」と呼んでいた営業マンが、「したきりすずめ」の昔話に出てくるような大きな葛籠(つづら)を背負って、年に1~2回来てくれていました。今思うと、わざわざ富山県から来てくださっていたのですね。

「四角や丸の紙風船」をもらえるので、「えっちゅどん」が来られるのをとても楽しみに待っているものでした。(*^_^*)


番組によると、300年ほど前の富山藩は、立山連峰の雪解け水による洪水や、山からの強風に煽られた大火など、相次ぐ災難で藩の財政が困窮していたそうです。

そんな折、長年、腹痛に悩まされていた富山藩主が趣味で集めていた漢方薬が、他藩の大名の腹痛を癒したことで、全国の藩から「万病に効く薬」として需要が増えたことがきっかけとなり、富山藩は「反魂丹(はんごんたん)」の生産を奨励したそうです。

それまでも、日本海を介して中国との交易が盛んであった富山藩には、漢方薬の知識と、立山連峰から流れて来る大量のきれいな水という、漢方薬を作るための条件がそろっていたのです。また、それまで悩まされていた立山連峰の水も、藩の財政を立て直すのに大きく役立つことになりました。


子ども心に言葉の響きが面白くて、意味もわからず「越中富山の萬金丹(まんきんたん)」と言っていました。

今になってネットで検索してみたところ、「萬金丹」は三重県伊勢市周辺で作られていた漢方薬のようです。また、「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡があったようで、幼少のころの私は、間違って使っていたようです。ご寛容のほど(#^.^#)


反魂丹をはじめとする富山の薬は、当時、値段が高かったらしく、富山の薬売り商人たちは「買ってもらうための知恵」を絞り、また、東北から九州まで全国にわたる「中間組」というネットワークを作って情報を共有し、買ってもらうための努力を重ねたそうです。

そういう中で考え出されたのが「先用後利(せんようこうり)」というマーケティング手法で、常備薬の入った薬箱を各家庭に置いてもらい、お客様が使った分の薬代を次の訪問のときにいただくというビジネスモデルです。

計上の仕方としては、現在の「消化仕入、売上仕入」です。「まずはお客様に使っていただくことが先で、利益は後からついてくる」という考え方で、いつでも手元に薬があり、使わなければ無料なので、お客様としても安心です。


また、「懸場帳(かけばちょう)」という、住所、氏名、購買歴、さらには塗り薬の練り具合の好みまで記した「顧客データベース」を作成して「顧客管理」を徹底し、完璧なまでにお客様とコミュニケーションをとることで、ゆるぎない信頼関係を築いていたようです。

版画や紙風船などの「おまけ」付きの商売は、「景品商法」の先がけだったのです。


島津久光公が藩主だったころの薩摩藩は、富山の薬売り商人にとって上得意客でしたが、幕府の改革等により藩の財政が逼迫してしまい、藩内の経済活動を優先するため、富山の薬売りを何度も「差留」(営業停止)にしたそうです。

富山の商人たちから相談を受けた薩摩の商人が、薩摩藩内で薬売りを続けさせる代わりに、富山の薬売りの全国ネットワークを活用して「昆布取引」をすることを提案し、幕府に内緒で蝦夷地から仕入れた昆布を中国に輸出することで収入を増やして、藩の財政を立て直したそうです。


薩摩藩と富山の商人たちの利害関係が一致し、取引することで「富山の薬売りが薩摩を支えた!」のだそうです。


この富山の薬売りの「先用後利」というマーケティング手法は今でも承継されているようで、20歳の若者から80歳を過ぎた老練の営業マンまで、いまでも活躍しているよう様子が番組で紹介されました。

新型コロナウイルスの影響で数か月間はお客様を訪問できなかったようですが、来ないからと言ってお客様が「浮気」するはずはなく、営業マンが来てくれるのを心待ちにしていたようです。


コロナ禍が及ぼす経済活動への影響はしばらく続きそうで、以前のような活況を呈するには時間がかかりそうです。

むしろ、「新しい生活様式」とともにビジネススタイルも変化していくであろうと思います。


「富山の薬売り」が実践してきた「顧客管理」の方法と「先用後利」というマーケティング手法に立ち返り、それに加えてデジタルという現代のコミュニケーションツールを併用することで、「温故知新のビジネスモデル」を実践するほうが、いわゆる「地域特産品」にとっては「着実」かつ「確実」に前進できる方法であるように思います。


(※1)NHK歴史秘話ヒストリア

(※※)「富山の薬売りのおまけ」については、ネット検索してみてくださいネ。

地域彩生コーディネーターの櫨山でした。(^_^)v

次回をお楽しみに♪

See you.